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2011年3月

明日から山元町に

 弥治郎こけし村も今回の震災ではそれなりの被害を受けた。
 今日は、弥治郎の工人達で常設展示室の倒れたこけしをなおし、4月1日からのオープンに向けて頑張りました。私は、開放展示室とこけし神社に有る奉納こけしを担当した。
開放展示室の運営は私が行っているし、こけし神社の奉納こけしも系統別マケ(家系)別にセッティングした事があるので、二度手間にならないために、工人のお手伝いは遠慮してもらった。
 これらも完了したので、明日からは山元町に震災ボランティアとしてお手伝いに行こうと思っている。
 どうにか、合計六時間も並んでガソリンを満タンにしたので、ボランティアに行ける事になった。
今回は、二泊三日の短期間のボランティアであるが、片道50キロなので、状況を認識した上で再度赴きたいと考えています。被災地に何が必要かこの目で見て報告いたします。

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浄化槽が液状化現象でむき出しになった。

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こけし神社の社殿の中、こけしが散乱している。

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即座に救援の行動を

 被害のない自治体葉パンツ一枚でも好いから救援の行動を、民間の我々はガソリンが手に入らないので行動が出来ない。津波の被害者は全て何も無い、地震の被害者は落ち着けば家から持ち出せるが、津波被害者は何も無い、考えていないで直ぐに行動を、

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陸前高田の市内に入る最初の陸前高田の入り江の集落、ここは全て全滅していた。

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陸前高田の気仙沼から入る市内へのいり口、橋も落ちてコンクリートの建物以外は全て津波に


市街の集落以外は漁協の合併、郵便局の統廃合、小泉政権の弱者切捨てでたんす預金をせざるを得なかった高齢者は全て失ってしまった。これを政治家は以下に思うのか、あまりにも反省がなさすぎる。かっこよい小泉総理の息子さん。民間ボランティアにガソリンを振り分ける方法を考えなさい。


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通電して最初のブログ

 私はいたって元気です。鎌先温泉の住い兼こけしの売店は前に気持ち傾きましたので、居心地も悪くすずきやの女将の好意で旅館で生活をしていました。職員寮が一つ空いているので其処で生活をしたらとやさしい言葉をかけてもらい、ました。ありがたく受けようかと思っています。
地震二日目、すずきや旅館に宿泊していた陸前高田のK漁労長が「高田に帰りたい」、家族との連絡もつかない、、すずき屋の一日だけの風呂友達ですが、ガソリンが行くだけならどうにか間にあいそうなので、途中で入れれば帰ってこれるとのおもいで、仙台の四郎丸、津波被害地域の近く、そして多賀城の二人の私の母親より一つしたのおばあさんも連れて出発、仙台の長町駅で降ろしてもらえればとの言葉は、おばあちゃんの独りよがり、自分の家の方向の案内できないので、友達のもう一人のおばあさん宅へ、これも、岩切の元警部補熊さんの自宅へ行ってあばあさから事情聴取、無事に二人を届ける事が完了。後は、漁労長の自宅へ、この場合は情報がないので現地対応主義、車には二人分の寝袋、水、数日間の食糧は積んであるので、ついでにガソリンを入れるペール缶も入れて、この片は震災ボランティアをしていたので対応はお手のものである。

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帰りが心配なのでガソリンを、ペール缶持参者のみ10リットルだけOKとのこと、1時間半並んで、これでどうにか白石には帰れるかもしれない。三本木町の四号線脇のガソリンスタンド。

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気仙沼の端なのでどうにか道路が確保され、陸前高田には行けそう。東京消防庁の皆さん道の確保有難う。この近くまで焼けていました。

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K漁労長自宅峠一つ手前の集落、神社に車が、この時の漁労長の心配は大変で、海の男が自分の心の中で最悪を想定していた。峠で車が止まったてので漁労長は飛び降り、知人を探して情報収集、安堵して車に戻った。

 兎に角津波の被害は、地震の被害とは別個の物、全て失っているのでパンツ一枚の救援が早急にに望まれる。被害のない自治体は即座に支援を、私も学舎にある寝袋や毛布を持って救援に行きたいが、ガソリンが民間人には手に入らないもどかしさが。

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新人育成

 本年度から弥治郎でもこけしの新人育成の補助金をもらう、但し問題が大きすぎる、実態を知らないのか当局がそれで良いと考えたのか、補助金が一年、所謂、仕分け作業によりそのようになったらしい、組合長から頼まれた事もありどのようなカリキュラム編成をしたらと遠刈田の元組合長の哲郎さんを尋ねた。遠刈田は仕分け前だったので三年の補助、カリキュラムは手作りの仕事には難しいのか、しっかりした物はなかった。又、指導者が多人数のため、工人のそれぞれのやり方があり受講する側も困難を来たしたと思う。それでも、哲郎さんは月間の計画をメモしていたが、それも個々人の工人のやり方があって・・・・・・・・
 哲ちゃんの家を出て、遠刈田こけし館の外にある元観光バスの運転休憩所を改築した新人研修所へ、研修風景を覗いたが、木地を挽いていた。素人の私から見てもカンナ使いに、約二年たってもこの程度かと、女性が描彩をしていた、それも小寸のこけしに、後で、今の組合長の一夫さんを訪ねたが、今小寸のこけしを挽かせているといっていたが、その小寸も胴のばらつきが、本当に一年ではとても無理な話、一年後の対応を考えながら、新人の育成を考えなければ、ましてこけしだけでは食えない時代だからなおのこと

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新人育成

 本年度から弥治郎でもこけしの新人育成の補助金をもらう、但し問題が大きすぎる、実態を知らないのか当局がそれで良いと考えたのか、補助金が一年、所謂、仕分け作業によりそのようになったらしい、組合長から頼まれた事もありどのようなカリキュラム編成をしたらと遠刈田の元組合長の哲郎さんを尋ねた。遠刈田は仕分け前だったので三年の補助、カリキュラムは手作りの仕事には難しいのか、しっかりした物はなかった。又、指導者が多人数のため、工人のそれぞれのやり方があり受講する側も困難を来たしたと思う。それでも、哲郎さんは月間の計画をメモしていたが、それも個々人の工人のやり方があって・・・・・・・・
 哲ちゃんの家を出て、遠刈田こけし館の外にある元観光バスの運転休憩所を改築した新人研修所へ、研修風景を覗いたが、木地を挽いていた。素人の私から見てもカンナ使いに、約二年たってもこの程度かと、女性が描彩をしていた、それも小寸のこけしに、後で、今の組合長の一夫さんを訪ねたが、今小寸のこけしを挽かせているといっていたが、その小寸も胴のばらつきが、本当に一年ではとても無理な話、一年後の対応を考えながら、新人の育成を考えなければ、ましてこけしだけでは食えない時代だからなおのこと

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井上ゆき子追悼展

 福寿草が鎌先温泉に咲いた日、昨年の11月1日永眠した井上ゆき子の追悼展を弥治郎こけし村で開催した。
公開展示室は私が企画し運営しているが、今回は彼女の娘で同じこけし工人の井上はるみがわざわざ熱塩加納(喜多方市)から持参してくれるなどの協力をしてくれたので、久しぶりに気持ちよくスタートする事が出来た。
是非数多くのこけしファンのみならず一般の方にも、女流工人で最も人気が高く、気品のある彼女の作品を鑑賞してもらいたいものです。
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木地雛写真集第二弾

 寄贈こけしの第一次のデーター整理が今日で終わった。3日で弥治郎こけし村の雛の宴展が終るが、来年のためにも木地雛の写真を掲載します。
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勝ちゃんの木地雛から、先ずは鳴子の工人たちの雛こけし

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大沼さんの木地雛は、脇の木のケースに収納できる。

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雛の宴展の展示風景

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本間の直ちゃん(津軽系)

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がっちこと平賀輝幸(作並系)

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 親分肌の陣の原幸紀(土湯系)作品の内容から見て値段が安い

 白石の現代こけし工人佐々木美穂の作品

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最後の雪景色にして欲しい

 先々週の上天気が嘘のようだがあれは異常な事、本来の天気は今朝のような天気なのだろう。しかし、確かに春近づいている。雪の表面が水っぽい。今朝の景色は寒さゆえに樹木に雪が氷着しているがこれも見納めかも知れない。学舎に午後に行って見たがやはり春の雪であった。
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 鎌先温泉にも春は橋の下からやってくる。

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