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2011年5月

街の灯り

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 光っているのは太平洋、夜になるとこの方面の灯りが少なくなっている。この海が見えるあたりは多分、岩沼(去年の夏はカヌーで阿武隈を下って河口まで行った)、そして、魚を買いに出かけたゆりあげの港、そして仙台市の若林区辺りがそうである。津波で飲み込まれたこの地域の灯りが消えた、夏には花火も見る事がで来た。何時になったら街の灯が復活するのだろうか、長い戦いを戦い抜く事で復活するのだろう。宮城県、誰でもが災害ボランティアに参加しやすい環境条件をととのえてもらいたい、被害が甚大だけにボランティアの活躍は重要だ、少なくとも中越よりはボランティアがしにくいと思うのは私だけだろうか。
 災害ボランティアのテント設営ぐらい許可をいただきたいものだ。一泊二食つき5000円の通いのボランティアだけがあなたたちの認める長期の県外ボランティアなのですか。

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お茶の打ち合わせ忘れる

 今年の、江戸千家の茶道教室はサークルとて運営することになりましたと連絡が、しまった、日時を別日程で記憶して欠席を、今年、茶道協津を行う能楽堂の茶室が地震で建物が破損し出来ないとの事、会長のK氏のお寺を会場に今年はサークルとして実施するとの事、茶道の基本の基もまだ出来ない私にとって喜ばしいかぎりであるし、茶室の早めの復旧を望みます。

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 刈田病院の放射線科の医師による白石の放射能の影響に関する講演会は、鈴なりの参加者で資料はなくなるし、会場から溢れるし、原発問題は関心が高いようだ。
妻のふるさと、新潟県の弥彦神社の近くの巻原発は、住民の反対で建設を中止させた。安心して海水浴が出来夏の岩牡蠣を採って食べる事ができます。かみさん田舎に帰ると言わないかなー。

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学舎定点写真

 学舎にパソコンのプロバイダーに広帯接続が完了し、鎌先の家の電力を止めて引越しが今日完了した。しかし、まだ住所移転をしていないので完全な引越しではないが、とにかく学舎からブログを発信する事が出来るようになった。そこで、久しく止めていた学舎からの定点写真を掲載する事と、災害ボランティアに行っている時は、山羊の雪を放し飼いにしていたが、今年も囲いをしたにも拘らずトマトの苗を全て食べてしまった、そこでお仕置きとして長いロープで桜の木に繋いだ、何日かは鳴いていたが無視をしていたが今朝、様子を見に行ったらしっぽを振って近づいてきたがなんとなくその場所が気に入ってきたようなので、トマトがなるまでこの状態で継続をしたいと思う。雨の日は桜の下で雨宿り、今日のような日差しが強いときその木陰を利用するすべを獲得してきたようなので。
2011年5月18日

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青葉の頃は何をやっても気持ちがいい

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新たな養蜂地

 昨年の春に白石川河畔でアカシアの採蜜をと考え養蜂箱を設置、それが他の養蜂群と交流する事で蜂の全滅に結びつきました。
 今年は、新たに養蜂を五群購入して再スタート、地震と津波の影響で搬入に遅れは取ったものの、昇さんの所で生育させ、二群は新たな女王を育成するために、三群は採蜜の為にと新たな養蜂地を探していましたが、身近な所に発見し地主の許可を得て今週末から設置するために草刈を行いました。
 新たな養蜂地は私が野菜を買っているポテトショップの斜め前の湯川の対岸、ここはアカシアだけでなく、梅、藤、柿などが沢山あり、ね春から秋にかけての養蜂地としてはベスト、この日も風が強かったのですがここだけそれを感じさせない場所でした。

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 白く削られた山が蔵王の風を和らげてくれます。

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学舎への引越し

 東日本大地震は私の住いである、鎌先温泉の弥治郎こけし直売所もその被害の一つである。幸いに鎌先温泉のすずきや旅館の女将の配慮で職員寮に仮住まいしながら山元町へ災害‘ランティァとして活動をしていた。
 学舎の桜も終り、昨年撒いた菜種も花をつける季節となったのを機会に学舎へ転居する事にした。
 小物は、機会を見て運びましたが、冷蔵庫だけは一人では無理なので、すずきや旅館の従業員のS君の協力で運んでもらう事で全ての引越しは完了します。
 ただ、パソコンのケーブルが学舎に入っていないので、ブログは弥治郎こけし売店の玄関ドアの所で打ち込んでいる。地震が来たら直ぐに外へ飛び出す事ができるように。それでも今日は引越しにはうってつけの五月晴れでボランティア作業で腰は痛いが頑張りたいと思います。

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今年は震災の関係か、山菜採りの車がすく無い、おかげでタラの芽がまだ無事に残っている、今年の山は例年になく山菜も遅いようだ。


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心癒される場所

 山元町に震災ボランティアに行く途中にその場所がある。前から気にかかっていたので、あるとき朝早く出て立ち寄る事にした。既に二回ほど訪ねたが、桜の花の時期そして散ってから、今度は蛍の頃に妻を誘ってみたいと思う。所謂、風水による気を感ずる場所で、いるだけで阿弥陀様の懐に抱かれる気持ちになる。

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桜の頃の高蔵寺の門前

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平安末期の阿弥陀堂、何故こんな所にと思うが、気を感じて作られたのだろう。国指定の文化財である(角田市)

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国指定の江戸時代の民家も移築してある。

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行政間格差

 富塚君、真弓さん、宮田君有難うございます。
 山元町と隣の亘理でも行政の力、力量が違うように感じる。亘理の方が住民幸せなのかもしれない。
 支援物資のセンターにいると行政の対応が良く見うる。将軍(企画財政課長)が部下の女性を連れてえらそうにやってきた。そういえばなんとなく金正日に似ている。作業の指示内容に現場の状況がわからないままに支持する事で、自衛官もいささか怒っていた。ちょっとした手配をしてくれれば、作業効率があがるし、私みたいに荷物の出し入れで腰痛にもなら無い、若い自衛官の中にも、腰にコルセットを巻いて作業をしているものもある。自衛官やボランティアに頼るだけで、何かを手配し、どのような手を打ったら良いかと言った資質にかけている。横柄さで権威を保っているのだろうが、これでは行政間の格差はますます広がるばかりであろう。議員の質もそれに左右して・・・・である。自衛官も私もはてなと思う議員が?真面目さに懸けている。自分が権力を持っていることを誇示し謙虚さにかけている。抵抗しない下っ端職員に同情するが、この難局から何かを学べば全体の奉仕者としての公務員が生まれるかも、久しぶりに宮崎県から来た職員と馬が合った。挨拶が良い、感謝を忘れない、一寸固い所があるが、県庁の総務課の児玉君の挨拶は宮崎県庁を明るくするよ。東国原君のわざとらしい芸人の挨拶とは違って気持ちが入っているように感じます。
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 隣の野球のグランドに仮設住宅が、入居セットの中に洗濯機があったが物干し台がないのは心配だ。

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